[1946] 全ては美しい利益の名のもとに⑥ 2010年7月3日 8時9分
レオン さん
バクーニンはかつて、“人々は居酒屋に行くのと同じ理由で教会に行く。彼ら自身の意
識を鈍らせるために、彼ら自身の惨めさを忘れるために、彼ら自身について思い違い
をするために、数分間であってもともかく、自由と幸福のために。”と言ったことがあ
る。恐らく、闇雲に振られる全てのナショナリズムの旗と、吹き鳴らされるヴヴゼーラ
(ラッパのような楽器=訳者)の只中にあって、我々は彼が同一視したものにスポーツ
を付け加えることができるし、忘れるということは、不正義や不平等との闘いに積極的
に加わることよりも容易いことのように見える。けれども闘う者たちはたくさんいるし、
労働者階級と貧しい人々、そして彼らの諸組織は幻想に対して、政府がそう信じたが
っているほど従順ではない。競技場の入り口に一時的なスクウォッターのキャンプを
建設することから、大きな抗議行動やデモ、国中でのストライキ行動に至るまで、不許
可にされようがされまいが、愚弄や嘲りの的となり“愛国心がない”というレッテルを貼
られ、あるいは発言の自由を丸ごと奪われても、我々の社会を特徴付けている恐るべ
き不平等を暴露するために、我々の生命を代価として展開しているグローバルなゲー
ムを暴露するために、そして諸帝国は我々の生命の上に築かれており、そしてやがて
は、究極的には破壊されるということを暴露するために、我々は挑戦的に声を上げる
であろう。 打倒ワールドカップ! 国家による抑圧と、民衆を分断するナショナリズムはいらない! 搾取と暴利に対する民衆の闘いに栄光あれ!(続く)
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