[1325] 「障害者の表記について」考える③ 2009年2月10日 15時49分
国士無双 さん
国士無双です。
先程のブログの続きです。
ディスエーブルドが本場アメリカで「むしろ差別的だ」と批判されてから(考えるまでも
無く当たり前だぞ馬鹿)、新たに輸入された言葉が「ハンディキャップト」だ。この言葉
は今でも生きている。日本語と混ぜて「お体にハンディをお持ちの方」などといわれ
る。
どうですかね、この言葉。むしろいやらしいと思うんですが。極めて他人行儀で、距離
感があって、つまりこの社会をともに生きるという覚悟のかけらもない人の発する言葉
だと思いますよ。とりあえずトラブルが無きゃいいや、面倒くさいでしょ係わり合いにな
るのが、と言っているように聞こえる、とは言いすぎですが。でもあながち外れてなか
ったりして。
更に進んで、チャレンジド(チャレンジングだったかなと思うがどうでもいい)という表現
もあります。「障害がありながら社会で自立して生きてゆくという『挑戦』をしている人」
という意味なんでしょう。もうね、ここまで来るとその言葉が何をさしているのかも明ら
かでなくなってきます。だんだん対象の個性が薄まってきていますね。人権だの平等だ
のと言っているうちに気がついたら没個性を指向してしまっていた、というのは「ある種
の人々」によく見られる傾向です。
ジェンダーフリーがいい例ですね。性差別をなくそうとするあまり、区々の性に特有の
個性までなきものにしてしまう。最近になって多くのジェンダーフリー論者が「男女の個
性まで無くそうというのではない」などと言い訳をはじめましたが、彼らが言ってきたこととやってきたことの全ては記録が残っている。民族紛争をなくすために民族そのもの
をなくしてしまえ、といってるに等しい罪を犯したんですからね、覚悟しなさい。
次に続きます。
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