[1136] イタリアのバザリア法の現状③ 2008年11月25日 17時23分
国士無双 さん
国士無双です。
先程の記事の続きです。
「選ぶべき道は一つ。病院に頼らずに地域で支える新システムをつくるしかないはず
なのです。しかし、その方向に向かわなかった国アメリカでは、多くの人たちが路上に
放り出され、ホームレスとなりました」
イタリアはアメリカとは違って、徹底した地域保健サービスの道を選択した。その改
革の先頭に立ったのがフランコ・バザリアだ。精神病院院長だった彼は、精神病院の
実態を世に知らしめるため、写真集の発行や、テレビ放映や、本の出版という、いわ
ゆる“内部告発”に知恵を絞った。精神病院という名の『収容所』に、患者という名の
『囚人』たちが、隔離され、捨てられ、死んでいく、そんなおぞましい姿を白日の下にさ
らした。
「こうして1960年代後半には、すでに地域保健サービス網をつくるための実践が動
き出しました。1968年には旧来の精神保健法が部分的に改正されて、精神保健セン
ターの設置が可能になりました。これが1978年の180号法の開花に道を開いたの
です」
そして次のような数字が紹介された。
1971年には、9万4,800人もの患者がマニコミオ(精神病院)に入れられていた。
180号法ができた1978年にはそれが6万4,752人に減り、20年後の1998年に
は7,704人に、そして20世紀の終わりにはゼロになった。今の精神科のベッド数
は、総合病院の精神科と私立病院を合わせても1万床に届かない。
「イタリアの人口は5,500万で、日本の半分です。その日本の精神病院は、いま実
に35万床ですから、イタリアの改革がいかに徹底したものかがわかります」と大熊さ
んが補足説明する。
次に続きます。
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